スコット・サムナー「ルーズベルト大統領の高賃金政策」

  • 2009年2月4日投稿。
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コールとオアニアンはニューディール政策のせいで大恐慌からの回復が遅れたのだと言っていて、それがあちこちで論争を巻き起こしている。今回はルーズベルト大統領の高賃金政策に注目してみよう。

クルーグマンは(流動性の罠では総需要曲線が右上がりになるから)、高賃金政策には産出を増加させる効果があったと言っている。(ミスリーディングな年次データを使用した)高度な計量経済学の研究は多くあるけれど、たんに賃金ショックがあった月の工業生産高の変化を調べた者はいないようだ。

賃金ショックは5回あって、そのうち4回は日付まで記録されている。ルーズベルト大統領はNIRA(全国産業復興法)の一環として1933年7月下旬には一律20%の賃上げを、1934年春にはさらなる賃上げを命じた。同時に、週労働時間は約20%減らされた。1935年にNIRA違憲判決を受けると、今度は1938年11月に最低賃金制を導入し、次の年には最低賃金を引き上げた。工業生産高のデータは、クルーグマンの解釈にとって不都合なんてレベルではない。これらの数字は鳥肌ものだ。

表:賃金ショック前後4ヶ月間の工業生産高伸び率(年率換算ではない!)

賃金ショックがあった月
1933年7月の賃金ショック +57.4% -18.8%
1934年5月の賃金ショック +11.9% -15.0%
1938年11月の賃金ショック +15.8% +2.5%
1939年11月の賃金ショック +16.0% -6.5%

私が5番目の賃金ショックを除外したことに気付いたかな?でもそれはクルーグマンにとって有利な情報などではなくて、むしろ不利な材料だ。歴史家は、1936年末から1937年に労働組合運動が盛り上がったのは、ワグナー法が成立したことと、ルーズベルトが選挙で圧勝したことが原因だと考えている。運動が盛り上がった原因が何であれ、その運動によって1936年末から1937年には賃金が上昇していた。でも、このときすぐには工業生産高は下落しなかった。なぜなら、1936年末と1937年初頭には、物価も急上昇していて、実質賃金の伸びは抑制されていたからだ。しかし物価の上昇が止まると、高賃金の負担に耐えかねて、工業生産高は急落してしまった。

進歩派はニューディール政策を批判する人に、反動主義者というレッテルを貼りたがる。たしかに、ニューディール政策の一部(ドル切り下げなど)は素晴らしかった。だけど、ルーズベルト大統領の高賃金政策は大失敗だった。ジェームズ・ハミルトンは(NIRAやAAAのようなプログラムへの批判を擁護して)こう言っている。

正直に認めよう。私はそれらの政策が製造業、農業、鉱業の産出を制限するように計画され、実際にそうした効果があったと確信している。