スコット・サムナー翻訳

名目GDP目標、マーケットマネタリズム

スコット・サムナー「素晴らしきデンマーク」

  • 2009年3月1日投稿。


今回は貨幣以外を題材にした初めての記事だ。しかしこの研究を始めるに当たっては、やはり貨幣経済学がきっかけになっている。かつての論文で私は、ニューケインジアンマネタリズムとオールドケインジアンの統一体であると論じた(その論文ではブラッド・デロングの論文を引用した)。私の基本的な主張は、経済学者が大恐慌を誤診したということである。大恐慌を経験した経済学者は、財政政策は金融政策よりも効果的だと考えた(彼らは金本位制が金融政策を制約したことを理解していなかった)。また彼らは経済が自然に完全雇用を回復することはないと考えた(彼らはルーズベルト大統領の高賃金政策の影響を見落としていた)。1980年代初めになると、そうした考えは大恐慌への過剰反応だったことを理解した経済学者は、オールドケインジアンの要素(賃金と物価の硬直性、金利目標、積極的介入政策など)と、マネタリズムの要素(自然失業率仮説、非常に効果的な金融政策など)の両方を持つ、ニューケインジアンモデルを構築した。ここで私は、貨幣数量説→ケインジアン→ニューケインジアンという弁証法的な発展が、経済学的自由主義の分野で起きたことに酷似していると気付いた。

(もう少し頑張ってほしい。この記事の前半は退屈だろうが、必要不可欠である。後半はきっと面白いはずだ)

19世紀後半になると、古典的自由主義は現代(社会)自由主義への進化を始めた。転換が決定的になったのは、大恐慌の発生によって、資本主義が不公平で非効率だと考えられたからだった。しかし、1930年代の問題はインフレ目標さえあれば解決できたことが理解された時点で、1930年代から1970年代に築かれた国家統制主義の政策は、非生産的であるとして廃止されていった。具体的には1980年以降ほぼ全ての国で、最高税率の引き下げ、民営化、価格統制と市場参入の規制緩和が実施された。しかし、(GDPに占める割合で見た)政府の規模はあまり変化しなかった。この新たな組み合わせを「新自由主義」と呼ぶ国もあるが、ポストモダン自由主義と呼んだ方が正確かもしれない。つまり、トニー・ブレアが「第三の道」と称した、自由市場と平等主義的な社会保険の組み合わせとして、新自由主義を評価するのが妥当だろう。

ここで私は「自由主義者」という言葉の本当の意味について疑問を抱いた。より実用的な問いをするなら、「自由主義」という言葉の最適な定義は何だろう?私の考える自由主義者の定義は、理想主義的で進歩的、そして最も重要な功利主義的(あるいは少なくとも帰結主義的)な価値観を持つ人々、だ。そして3つの異なるタイプの自由主義(実用的自由主義社会主義新自由主義)は、似た価値観を有しているが、経済体制の機能についての見解は異なっている。(規範的経済学/実証経済学という区別の仕方は、多くの経済学者が考えているほど明確ではないが、ここではおおよそ同じ分け方を使う)。

では実証経済学の「世界観」における、因果関係を見ていこう。私の仮説では、実証経済学の中に経済学的な世界観(輸入は善、市場が価格を設定する等)と、常識的な世界観(輸入は悪、石油会社が価格を設定する等)という、2つの基本的な世界観が存在している。右派の自由主義(自由放任主義)と、左派の自由主義(民主社会主義)のどちらが人気を集めるかは、どちらの世界観に説得力があるかで決まる。「常識」という言葉が示すように、右派の自由主義者は不利な立場にいる。実際のところ、彼らを後押しするのは正しさだけだ。ブライアン・キャプランは、私が「認知錯覚」呼ぶことに関して興味深い研究をしている。それについては別の記事で扱うかもしれない。

1980年以降、国家統制主義の欠点に関する「厳然たる事実」が明らかになり、多くの国は自由市場を志向するようになった。しかし、平等主義的な制度である社会保険を廃止するためには、(まだ)十分な証拠がない。私の考えが正しければ、自由主義的な価値観を持つ国は、自由市場を志向することで新しい知識に応えたのであって、必ずしも政府の規模を縮小したわけではない。しかし、自由主義的な価値観を測定するにはどうすればいいだろう?

私はアルガンとカフックという、2人のフランス人経済学者の論文を見つけた。その論文は、市民の信頼感が高い国(北欧諸国など)では、失業給付が手厚く、労働者の解雇規制が緩い傾向がある一方で、失業給付が少ない国ほど、厳しい労働法を持つ傾向があることを示していた。自分の研究に彼らの価値基準がぴったりだと、私は気付いた。(調査の質問は「あなたはもらう資格がない給付金を受け取るか?」)

彼らはデンマーク市民が最も誠実であることを発見したが、私が使用している全ての先進国を対象にしたデータでは、デンマークはマルタを僅差で上回るだけだった。しかし、誠実さを自己申告させている点が気になった(マルタ人は自分たちが誠実だと言うが……)。そこで、より客観的な調査であるトランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数(デンマークが1位)と、自己申告による市民の誠実度を平均化してみた。2つの指数の平均値では、デンマークが飛び抜けていた。デンマークを100点とすると、それに続く3カ国は86点で並んでいた。ブログの人気のためにも、小さな島国の読者に恥をかかせたくないので、マルタがどこまで順位を落としたかは秘密だ。

その次に、新自由主義の度合いを測るため、ヘリテージ財団の経済自由度指数(2008年)から、2つの"政府の規模"の項目(税負担と政府支出)を除いた値を使用した。経済自由度指数の他の8項目を平均すると、デンマークは香港をはるかに凌ぐ、「地球上で最高の自由市場経済」だと分かった。喜ばしいことに、この調査結果(データマイニング無し)は、私の新自由主義への弁証法的アプローチと見事に一致していた。

さらに良いことに、新自由主義的(あるいは自由市場志向型)政策の指数と、私が計算した「自由主義的」(あるいは理想主義的)価値観の指数は強く相関した。実際、その相関は調整前のヘリテージ指数でもかなり高かった(その指数で1位だった香港が、自由主義的価値観の指数ではデンマークよりずっと下だったにも関わらず)。あなたはこう思ったかもしれない。なるほどしかし、相関関係は因果関係を証明しない、と。多くの国の特徴には正の相関がある。そして私の仮説に必要なのは、デンマークのような国が自由市場志向を強めたのは、知的風土の変化によって自由主義者が国家統制主義政策への関心を失った後だ、という証拠である。

1980年にさかのぼってデータを取得するには、ヘリテージ指数と(非常に激しく)競合しているフレーザー研究所の経済自由度指数を使う必要があったが、そこではさらに満足のいく結果が得られた。回帰分析によると、自由主義的価値観が強い国ほど、1980年以降の国家統制主義からの離脱も早かった。ナオミ・クラインは驚くかもしれない。1980年から2005年に、自由市場への移行がデンマークよりも急速だった国はニュージーランドのみだった。私の解釈は以下の通りだ。自由市場改革はさまざまな圧力団体の既得権を損ねるおそれがある。したがって、1980年以降のこれらの改革は、公益を追求する市民文化が強い国ほど実施されやすかっただろう。(言い換えれば、「部族的な」とか「家族第一の」と形容される文化の国では、国家統制主義的な経済政策が採用されやすいということだ)。

ディアドラ・マクロスキーは、この調査結果に強い興味を持つと思う。私はつい最近、彼女の執筆した興味深い本「資本主義の美徳」を読んで、27ページの長ったらしい書評を公開した。(彼女の本も同じくらい長々としているが)。その本は左右両派を批判している。彼女は左派の善意を認めながらも、私が経済学的世界観と呼んでいるものを、彼らが学ぼうとしないことを叱責している。実際のところ、左派の多くはそのような世界観が存在することさえ理解していない。彼女はジョージ・スティグラーのような右派の人々は、自由市場に関しては正しいが、価値観に関しては間違っていると考えている。スティグラーは、理想主義的な経済学者が政策決定者を説得しようとすることは、時間の無駄であると論じた。なぜなら、政策決定者は自己利益のために動くからだ。そして、理想主義的な経済学者と比べて、既得権益を追求する圧力団体は政策決定者を満足させることに長けている。マクロスキーは、健全な経済システムを自己利益のためだけに動かすことは不可能だ、反論した。

私の調査結果はスティグラーの間違いを示している。国家統制主義が信用されなくなった後の自由市場への移行は、理想主義的な価値観が強い国ほど急速だった。しかし、それと同時に、ポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツ、ジェームズ・ガルブレイスナオミ・クラインといった人々にとっても、この調査結果は不都合だろう。1980年以降に、ほぼ全ての先進国で起こった自由市場と最高税率引き下げを推進する強力な運動は、右派の陰謀などではないからだ。それらの運動の原動力は、理想主義的な価値観だった。実際のところ、私がしてきた主張も「自由主義的」価値観に基づいている。

国の特色を分野横断的に調査するのは今回が初めてだが、その過程では他のデータも目にしてきた。そのとき私は北欧諸国があらゆる点で傑出していることに気付かされた。例えば、別の2つの調査では所得分配が世界で最も平等な国はデンマークだった。また、私が見つけた3つの幸福度調査ではデンマークが1位だった。興味深いことに、平等主義的なシステムが幸福度を高める証拠は多くない。むしろ因果関係は逆方向に働いているようだ。(幸福度調査に関心がある人は、調査全体に対するウィル・ウィルキンソンの懐疑的な見解をチェックするといい)。そうだとしても、一見すると平凡な北欧諸国の何が特別なのか、不思議で仕方なかった。ある国が最も平等主義的であり、最も自由な市場でもあり、最も理想主義的でもあり、そして地球上で最も幸福でもあるのは、なぜだろう?どんな秘密があるのか?デンマークは社会科学の秘密の全てを解く鍵になるだろうか?これらを言い換えると、この問いになる。

デンマークに欠点はあるか?

実はある。デンマーク最高税率は非常に高いので、スイスよりもわずかに貧しく、超低税率のシンガポールにはさらに遅れをとっている。同程度の人口を有するこの3か国は、高度な平等主義、自由民主主義、経済学的な自由主義が共存する国の模範になっている。最も新自由主義的な経済政策を実施している2カ国、デンマークシンガポールを簡単に比較して、今回の長文記事を締めくくろうと思う。スイスの政治体制については、別の記事で検討したい。デンマークに優れた社会保険制度があることはよく知られているが、シンガポールにも良い制度(ユニバーサルヘルスケア等)がある。デンマークとの違いは、シンガポールが自家保険制度によって成果を上げている点だ。自家保険制度では、所得の約33%が強制的に貯蓄される。(政府補助金は制度の溝を埋めているにすぎない)。そのため、シンガポールでは労働への税金は非常に低く、資本と営業にはほとんど税金がかからない。シンガポールでは個人年金口座に十分な資金が積み立てられている。医療貯蓄口座もある。巨額の財政黒字もある。さながら数百人ものマーティン・フェルドシュタインによって支配された国家のようだ。(なんと素晴らしい響きだろう!)。結果として、シンガポールの一人当たりGDP購買力平価換算)は、産油国以外の国(あるいは人口100万人以上の国)の中で1位だ。デンマークもかなり豊かな国だが、シンガポールには遠く及ばない。

では、21世紀の模範となるべき国はどちらか?中国とインドが見習うべきはどちらだろう?2カ国を比較してみよう。

デンマーク

非常に平等

おしゃれな家具

ラース・フォン・トリアーの映画

シンガポール

非常に豊か

非常に長生き

美味しい食事

幸福度のデータはデンマークの方が良いと言っている。ただし、すでに述べたように因果関係は逆のようだ。また、アルガンとカフックは、公共心が低い国では失業保険を手厚くできないと論じた。なぜなら、公共心が低い国では、「もらう資格のない給付金を受け取るか?」という質問に、「はい」と答えた人々が大勢いるからだ。私はどこか特定の国を揶揄しているわけではない。ほとんどの国の人は、デンマーク市民の道徳心には敵わないのだ。

したがって、中国とインドは(できれば卑劣な独裁政治のない)シンガポールモデルを参考にすべきだ。しかし、私は文化的価値観が変わる可能性について、そこまで悲観的ではない。自由市場が資本主義の美徳を促進する、と論じているマクロスキーなら何か知っているかもしれない。私が生きている間に、アフガンの部族がデンマーク人と同じ文化を持っているような世界が実現することはないだろう。しかし、世界はその方向へ進んでいると確信している。

この確信は私に金融政策の重要性を思い出させる。大恐慌を誤診したことが、世界を長く無益な国家統制主義の実験に導いたのだと、私は考えている。まさに荒野の40年だ。現在、私たちが危機に直面しているのは明白だ。だからこそ、私は現在の危機を正しく診断することに、熱意を注いでいる。そしてこのことは、私に以前の記事の重要性を思い出させる。誰か、以前の記事をクルーグマンに伝えてくれる人はいないだろうか?そこに書いたことを理解すれば、私たちはすぐさま不況から回復し、歴史に決着をつけ、先に進むことができるのではないだろうか?