スコット・サムナー「総需要とは何か・開眼への11ステップ」

  • 2014年7月17日投稿。


私は現在、TheMoneyIllusionで総需要の議論をしている。この言葉は実際のところ何を意味しているのだろう?コメント欄には世間の常識的な説明がたくさんあったし、ニック・ロウのようにハイレベルな議論を展開している専門家もいた。開眼へ向かうステップをひとつひとつ見ていくのが役に立つかもしれない。

レベル1:人々が支出を減らすことを決めれば、総需要は減るだろう。ここで言う「支出を減らす」とは、たいていの場合、所得から貯蓄に回す部分が増えることを意味する。

レベル2:しかし貯蓄は投資と等しいから、社会全体として貯蓄を増やせば投資が増えるだろう。つまり投資プロジェクトへの「支出を増やす」ことになる。

レベル3:しかし計画された貯蓄は、計画された投資より多いかもしれない。

レベル4:その場合は金利が下がって、実際の貯蓄と投資は等しくなる。

レベル5:しかしひょっとすると、実際の貯蓄と投資を等しくするために、所得が減るかもしれない。

レベル6:しかしなぜ所得が減るのか?貯蓄を増やそうとすることが、どうやってM×Vを減らすだろう?

レベル7:貯蓄を増やそうとすると金利が下がり、貨幣保有機会費用が小さくなるから、貨幣流通速度(V)が低下するだろう。

レベル8:なるほど、確かに貨幣流通速度は低下するかもしれないが、ここで聞いているのはM×Vが低下する理由だ。中央銀行がテイラールールを用いていれば、あるいはインフレや名目GDPを目標にしていれば、M×Vの低下を防ぐためにマネーサプライを調節するだろう。

レベル9金利がプラスならそうなるかもしれないが、ゼロ制約では中央銀行は貨幣流通速度(V)の低下を相殺できない。

レベル10:いや、できる。金利のゼロ制約は特に問題ではない。問題になるのは、購入することができる適切な資産が残されていない、という意味でのゼロ制約だけだ。そして今までに、そうした意味でのゼロ制約に近づいた中央銀行は存在しない。未だかつて、弾薬を使い果たしたと言った中央銀行も存在しない。

レベル11:しかし中央銀行はゼロ制約において、非伝統的な金融政策をしたがらないので、人々が貯蓄を増やそうとする時に、貨幣量(M)は貨幣流通速度(V)の低下を完全には相殺しないだろう。

まだまだ続けてもいいのだが、私に反対する人々の言葉で終わろうかと思う。結局のところ、この「開眼」の試みは傲慢なものなのだ。今度は突然、1億人の移民が米国に殺到した場合を考えてみよう。これは総需要や総供給を引き上げるか?

レベル1:買い物客が多くなるから、総需要が増えるのは明らかだ!

レベル2:いや、彼らは労働者なのだから、これは総供給ショックだ。

レベル3:それは金融政策による。金本位制では貨幣量(M)は変化しない。だから正の供給ショックや移民流入はデフレを招く。1865~1896年を思い出すといい。

レベル4:いや、移民流入は資本利益を上昇させる。すると金利が上がり、貨幣流通速度も上昇する。総需要と総供給はどちらも増える。

レベル5:しかし1億人の移民が流入するときに、金利のゼロ制約が存在するとは考えにくく、また現在の私たちは不換紙幣を使っているので、それは中央銀行がインフレや名目GDPを目標にしているかどうかに完全に依存している。

などなど。

教科書の総需要曲線(AD曲線)は通常、一定のマネーサプライを想定している。それゆえ、それは金本位制のモデルと見なせるかもしれない。そのモデルを不換紙幣制に適用することは可能だが、「供給ショック」に反応した中央銀行が、AD曲線を同時にシフトさせる可能性があることを忘れるべきではない。

また、言葉を明確にすることも重要だ。中央銀行が名目GDPを目標にしているなら、1億人の移民が米国に流れ込んだとしても、それが供給ショックであることは明白なので、総需要は変化しない。しかし人口増加によって、購入される(需要される)財の量はずっと多くなる。店は買い物客で溢れかえるだろう。需要される量の合計は増えるが、総需要は増えない。多くの買い物客を思い浮かべるときに、それが総需要を視覚化したものだと考えてはいけない。あなたが視覚化しているのは、ADショックあるいはASショックを反映した均衡量だ。それは個別の市場にも当てはまる。1990年代にはパソコンの購入者が急増したが、パソコンの価格が下落していたことから分かるように、それは主に供給側の話だった。

私が言葉遣いにうるさいのだと思われるかもしれないが、それらの区別を明確にすることは本当に重要なのだ。

もう1つの重要なポイントは、「支出」についての常識的な見方は、総需要を考える上で非常にミスリーディングだということだ。端的に言えば、総需要は消費のみで構成されるのではなく、投資+政府支出+純輸出も含まれるのだ。開眼の11ステップで見てきたように、結局はレベル1の常識的な考え方が正しくなるのかもしれないが、それは壊れた時計が1日に2度正しい時間を知らせるのと同じ理由で正しいのだろう。

タイラー・コーエンは以下のように述べている。

少なくとも経済ショックが起こった直後の期間では、総需要と総供給の差異をはっきりさせ過ぎるのは間違いだろう。

ショックは「絡み合っている」ことが多いので、この意見には賛成だ。私は総需要と総供給に関する全ての議論を無くし、名目ショックと実質ショックの議論に置き換えたいと思っている。名目ショックとは、名目GDPの予想外の変化のことだ。実質ショックは、所与の名目GDP水準の物価と産出の比率を変化させる。コーエンが示唆したように、ある種のショックはしばしば他の種類のショックと絡み合っている。しかし、金融政策がどのような種類のショックに対応すべきか(あるいはすべきでないか)を考えるために、それらのショックを理論的な問題としてはっきりさせることは、依然として重要である。