スコット・サムナー「サムナーの大恐慌論①決着の時」

  • 2010年2月8日投稿。

 

〔訳者:サムナー教授の著書ミダス・パラドックス(未邦訳)は全五部14章から成りますが、そのうち第一部(第1章〜第3章)の要約版と第二部(第4章〜第6章)はブログ上で公開されています。今回の記事は第一部の要約版です〕

 

目次

第一部:金、賃金と大恐慌

  • 第1章:イントロダクション
  • 第2章:大恐慌のモデル
  • 第3章:金本位制における金融政策

第二部:大いなる収縮

  • 第4章:ウォール街の大暴落から最初の銀行危機へ
  • 第5章:ドイツの危機(1931年)
  • 第6章:"流動性の罠"(1932年)

第三部:大胆で粘り強い実験(1933年のマクロ経済政策)

  • 第7章:誰でも簡単にできるリフレ計画
  • 第8章:全国産業復興法と隠れた恐慌
  • 第9章:柔軟なドル

第四部:金本位制への復帰

  • 第10章:金ブロックの崩壊
  • 第11章:金パニック
  • 第12章:ミダス王の呪いとルーズベルト恐慌

第五部:結論

 

Part 1. 大恐慌の原因とは?

私の考えでは、大恐慌には2つの主要因があった。1つ目は、1929-33年と1937-38年の金融引き締めで、もう1つは、1933年、1934年、1936年-37年、1938年、1939年の5回の名目賃金ショックである。ニューディール政策が引き起こした5回の名目賃金ショックは、景気回復を遅らせる効果を持っていた。大恐慌が12年間も続いた挙句、日本との開戦の時を迎えることになったのは、これが原因である。何が大恐慌を終わらせたのかは分からないし、それをここで議論するつもりもないが、おそらくはドイツのフランス侵攻により、米国や他の諸外国が軍事動員を行なったことと関係があるのだろう。これは総需要を直接的に上昇させると同時に、期待インフレ率を上昇させることによって、間接的に期待名目GDP成長を高めたかもしれない。たいていの場合、戦争はインフレを促進する。

産出を低下させる要因は他にも多くあったと考えられる。1929~33年には、フーヴァー大統領の高賃金政策、スムート・ホーリー*1の成立、1932年の最高税率の大幅な引き上げ*2という、3つの重要な供給ショックがあった。しかし、引き締め的な金融政策がなければ、税率の引き上げは実施されず、高賃金政策の影響もほぼ皆無で、スムート・ホーリー法ですら大した影響はなかっただろう。1933年以降でも、回復を阻害するニューディール政策は数多く存在したが、私は5つの賃金ショックが何よりも重要だったと考えている。

私が注目する変数は、物価と名目賃金の2つである。実質賃金〔製造業賃金/WPI(卸売物価指数)〕のデータを使えば、2つの変数の影響をまとめて観測できる。引き締め的な金融政策が行われていたことを示すために、名目GDPを使いたいところだが、あいにく月次のデータがない。しかし、少なくとも工業生産高とWPIが同じ方向に動いている時期であれば、名目GDPの代用としてWPIを使用できるだろう。例えば1929~33年と1937~38年には、月次の卸売物価と工業生産高の両方が急激に低下していたことが観察できる。月次の名目GDPのデータがあれば、それらの期間では持続的な低下が見られたはずである。

月次の実質賃金の推移を反転させてみると、それがトレンドを除去した月次の工業生産高と強い相関関係にあることが分かる。実際のところ、それは私が今までに見てきた景気循環理論のグラフの中でも、最も驚くべきものである。特に現代の理論では相関関係は全くないと考えられている。しかし、実質賃金の変化が工業生産高を変化させたとは言い切れないし、私もそう主張するつもりはない。より正確に、ニューディール政策による名目賃金ショックと、引き締め的な金融政策という2つの要因が実質賃金を高め、工業生産高を変化させたと言うべきだろう。私のモデルは完全にその場しのぎであるが、それはむしろ誇らしいことである。私は大恐慌に適合するモデルを持っている。私はあらゆる景気循環に適合する「時代を超越した理想的なモデル」は存在しないと信じている。

大恐慌を理解することはタマネギの皮をはがすようなもので、1つの因果関係を取り去ると、また次の問題が出てくる。現在の私たちは、デフレと賃金ショックが大恐慌の直接的な原因であると知っている。しかし、それらのショックの根本原因は何か?賃金ショックは単にルーズベルト大統領の政策の影響として説明できるが、デフレの原因は非常に複雑である。

大恐慌が世界的な現象だったことを思い出してほしい。物価はほぼ全ての国で下落した。 購買力平価説は、物価の下落が連鎖した理由の1つである。その結果として、カナダのように銀行破綻が一件もなかった国でも、物価は下落した。為替レートが国際金本位制によって固定されていたことは、言うまでもない。

Part 2.国際金本位制における金融政策をどのように評価するか?

1933年を除いて、戦間期の米国では金が価値尺度であった。そのため物価水準の変化は、金の価値変化の逆数に等しかった。これは理論ではなく、定義である。物価水準が20%低下したなら、それは同時に金の購買力が25%上昇したことを意味する。したがって、1929年以降に物価が急落した理由を説明するためには、1929年以降に金の価値が急上昇した理由を説明する必要がある。これは大して難しくはない!驚くなかれ、全く難しいことではないのである。あらゆる商品の価値は、需要と供給によって決定される。金が貨幣であったとしても、そのことに変わりはない。

金の採掘量は非常に安定していて、金の総量は年におよそ2%ずつ増加していた。つまり、物価水準の大きな変化を説明するためには、金の需要ショックに注目しなければならない。残念ながら、私は金の総量を示す良質なデータを持っていない。その代わりに、私は貨幣用金の総量のデータを使っている。実際には、合理的かつ正確に金の総量を見積もることも可能かもしれないが、私の目的にとっては貨幣用金の総量の方が使い勝手が良い。非貨幣用金(貯蔵用や装飾用)の需要の変化が、貨幣用金の供給に影響を与える要因になることを考慮すればいいだけだ。

つまり、1929~33年の強烈なデフレショックの要因として考えられるのは、民間の金需要の増加と中央銀行の金需要の増加である。実際には両方のことが起こったわけだが、最大の犯人は中央銀行であると思われる。中央銀行はマネタリーベースを基本とする負債の裏付けとして、金準備を保有していた。米国以外の国については手間を省くため、マネタリーベースの代わりに通貨を使うことにする。通貨あるいはマネタリーベースに対する貨幣用金の比率は「金準備率」と呼ばれている。このモデルは以下の恒等式から始まる。

物価水準=(貨幣用金の供給)/(貨幣用金の実質需要)

物価水準=(貨幣用金の供給)/(金準備率×実質貨幣需要

右辺の3つの変数はいずれも、激しいデフレにおいて役割を演じた。しかし実際には、貨幣用金の供給は4年間にわたって増加したため、その点に限ってみれば物価を押し上げる効果があった。それにもかかわらず、1931〜33年のある重要な時期において、民間の金の退蔵が世界の貨幣用金の総量を減少させたことが、大恐慌を悪化させる要因になっていた。不況期においては、金の実質価値が上昇することによって、中央銀行に金が持ち込まれるようになるので、金の供給量は通常よりも速く増加することが多い。ところが金の平価切り下げへの懸念から、1931〜33年(そして1937〜38年)に民間で金の退蔵が進んだことは、このプロセスを遅らせ、恐慌をさらに悪化させた。

しかしながら、大きな問題は中央銀行の金需要であり、これは2つの理由から急増した。1つ目の理由は、人々が多くの現金を退蔵したことで、これは特に米国とフランスで顕著であった。その原因となったのは低金利と銀行破綻への懸念である。実質現金需要の増加に応えるには、より多くの金が必要になる。さらに悪いことに、中央銀行は金準備率を急激に引き上げた。実質的に中央銀行は金を退蔵していた。「ゲームのルール」に従えば、こんなことは起きない。金が流入した国では、金の量が増えるにしたがって、通貨発行高も増える。そのようにして、中央銀行がゲームのルールに従っていれば、大恐慌は(絶対ではないものの)起きなかった可能性が非常に高い。1930年代には多少のデフレが発生したかもしれないが、実際に起きたものよりはずっと穏やかだったはずである。

大恐慌の最初の15ヶ月間では、現金の退蔵はほとんど見られなかった。当初の急速な景気悪化を引き起こし、多くの国で物価と産出を急落させたのは、世界の金準備率が大幅に上昇したことであった。唯一の重要な例外はフランスである。フランスは大恐慌の直前に通貨切り下げを行なっていたが、物価が完全に上昇しきっていなかったため、その時はまだ、購買力平価への調整過程にあった。その結果として、フランスでの恐慌発生はおよそ1年遅れたのである。

Part3.イデオロギーを超えて

誰かのイデオロギーに合わせた物語を作りたいとは思わない。右派は、この本の前半が好きではないだろう。先述したように、フーヴァー大統領のサプライサイドの政策が大失敗したことは、あくまでも二次的な要因である。名目GDPが半減したとすれば、貿易、税、賃金の政策がどんなものであれ、大恐慌が訪れるだろう。2008年7月からの12ヶ月間に名目GDPが3%減少しただけで、私たちがどれほど苦しめられたかを考えてほしい。

大恐慌からの回復が遅れた原因は、ルーズベルト大統領の高賃金政策にあるという、この本の後半部分での主張は、左派のお気に召さないだろう。私は右派と見なされているが、フーヴァー大統領の政策と比べて、ルーズベルト大統領の政策をはるかに高く評価している。その評価の大部分は、ケインズが「素晴らしく正しい」と評したドル切り下げ政策に向けてのものである。それとは対照的に、フーヴァー大統領は1つも正しいことをしなかった。彼は介入すべきところ(金融政策)には介入せず、介入した分野では物事を悪化させるばかりであった。大惨事を招いたのは、いずれか1つのイデオロギーではない(ちょうど第二次世界大戦が、ヒトラースターリンの共同制作であったように)。大恐慌の前半部分は、当時考えられていた通り、右派経済学の失敗によるものであった。後半部分は、1935年頃の左派経済学の失敗によるものであった。どちらか一方の大失敗が大恐慌を招いたのであれば、それが頻繁に起こっていてもおかしくない。しかしながら、12年間の大恐慌は、米国が経験してきた他の恐慌と比べて、3倍も長い期間続いたのである。

景気後退が始まってから、失業率が8%程度のまあまあの数字に落ち着くまでの期間を測るとすれば、現在の不況は米国史上2番目の長さということになるだろう(今回の不況の原因も、左右両派のアイデアが失敗したことである)。しかし、少なくとも現在の右派は金本位制を信奉していないし、左派もNIRA(全国産業復興法)を支持していない。したがって、私たちが再び大恐慌を経験することはないだろう。私たちは過去の失敗を繰り返しているが、その深刻度はかつての足元にも及ばないのである。

*1:1930年に成立した輸入品関税を大幅に引き上げる法律

*2:最高税率は25%から63%に引き上げられた