スコット・サムナー翻訳

名目GDP目標、マーケットマネタリズム

スコット・サムナー「MMTの欠陥理論にすがる進歩派」

  • 2019年1月25日投稿。

   

   「現代貨幣理論(=MMT)」と呼ばれる比較的新しい学派は、自国通貨を持つ国では、政府支出は歳入によって制限されないと主張し、その考えは進歩派の間で支持を広げつつある。

   下院議員に初当選したアレクサンドラ・オカシオ=コルテス(民主党/NY州)は、米国政府が単一支払者制度の医療保険を実現できるという自らの考えの根拠として、MMTを引き合いに出している。

   主流派のエコノミストは、MMT支持者の主張の一部には賛同しているが、それは非常に限られた状況下でのことだ。この理論全体が大きな欠陥を抱えていることからすれば、それさえも寛大すぎる評価と言える。

   MMT(と政府支出拡大)の支持者は、拡張的な財政金融政策のファンであり、積極的な貨幣発行や、公的債務の増加によるリスクは誇張されていると考える人々なのだ、と多くの人は思っている。

   しかし厳密に言えば、実際のMMTがこの主張をするのは、経済が完全雇用でないときだけだ。産出量が供給能力の限界に達している場合に、借り入れや貨幣発行で賄われた支出を増やすと、高インフレになってしまう可能性があることは、MMT支持者も認めている。

   ではMMTにもとづく政策の、どこが誤りなのか?

   根本的な問題は、MMT支持者が財政政策と金融政策の役割を混同していることにある。彼らは金融政策がサポート役に回って、政府借り入れのコストを減らすために、金利を低く抑えるべきだと言っている。

   その一方で、総支出が経済の供給能力を超え始めたときは、インフレを抑えるために緊縮財政を行うべきだという。

    悲しいかな、歴史はこのやり方がうまくいかないことを示している。1968年、ジョンソン大統領はそれがインフレ抑制につながるという希望と期待を込めて、増税と均衡財政を実施した。ところが金融政策は緩和的なままであり、インフレはさらに悪化した。物価水準を決めるのは金融政策であって、財政政策ではない。

   1980年代初めに、ポール・ボルカー議長のFRBは、1966年から1981年まで続いた大インフレ期に終止符を打ったが、それは引き締め的な金融政策によるものだった。実際、FRBが高インフレの収束に成功したのと同時期に、レーガン政権は大幅な財政拡大を行い、財政赤字を急増させていた。

   1990年代初めから、FRBはインフレをターゲットにしていた-当初は暗黙のうちに、2012年以降は2%目標を明示した。FRBがインフレ率の指標にしている個人消費支出(PCE)の平均上昇率は1.9%だった。

   インフレ率はそれ以前の25年間でははるかに高く、戦前の金本位制でははるかに低かったことを考えれば、これは偶然の一致ではないだろう。2%のインフレは「自然に」そうなったのではない-FRBの意図した政策行動により達成されたのだ。

   インフレ率が財政政策で決まるというMMT支持者が正しいなら、議会が1990年以降のインフレ率を2%に調節していたことになる。誰もが知る機能不全の議会では、インフレ目標のために財政赤字を調節しているとうそぶく者さえいないのに、果たしてそんなことがありえるだろうか?

   景気が悪化して、金利がゼロになれば、金融政策は効かなくなり、財政政策が効力を持つようにも思える。主流派の経済学者がMMTに賛同する部分というのは、この限られた状況下でのことだ。

   私の考えでは、その限定的な支持でさえも、根拠不十分である。2013年、私たちはゼロ金利下限のもとでも、金融政策が依然として財政政策より強力であること目の当たりにした。

   5000億ドルもの劇的な財政赤字の削減は、ケインズ派の経済学者が予測したような成長減速をもたらさなかった。その影響はFRBの緩和政策と、より積極的なフォワドガイダンスによって、完全に相殺された。

   残念ながら、MMTが使用している基本モデルは、インフレの変化プロセスへの誤った思い込みにもとづいている。政策のガイドを欠陥理論に委ねてしまえば、政策決定者は道を外れ、MMT型の理論を信じた結果として、平時ではアメリカ史上最高のインフレを招いたジョンソン大統領の二の舞になる可能性がある。